#7 車窓のトラック、ホームの駅そば、本を読む私。
2023年が始まりました。みなさん、お元気ですか?
新年の陽気が少しずつ身体に沁みこみ、1年の幕開けを伝えていることと思います。
わたくし、ちょっとだけ元気を取り戻したもじばやしです。
そう思って、年末年始は旅に出ています。北海道を気の向くままウロチョロするだけなのですが、「気の向き方」で2023年のもじばやしを占おうという魂胆。果たして吉と出るか凶と出るか*21。2022年最後の大一番ですねぇ。
見守ってくださるとこれ幸い。
上記引用の通り、前回のエッセイで「旅に出ています」と書きました。旅と言っても「外を眺め、時折本を読み、気の向いた駅で降りて街を歩く」というだけです。観光名所らしいところは、大沼公園を歩いたことくらいでしょうか。
さて、帳尻合わせの如く突然更新頻度を高める弊ブログですが、「車窓・読書・街歩き」しかしてない*1旅の中で、私にとってはすべてが良質な「インプット」になっていました。思索の材料、とも言うか。よく「物思いにふける」と言いますが、ここ数日の私は別にぼんやりしているのではなく、ちゃんと物思いしてました。ほんとだもん。
ということで、ちょっとだけ元気を取り戻した私の筆致で2022年を締め、2023年を始めていきたいと思います。読んだ本と感じたこと、その時見ていた景色を綴って、旅の経過報告としましょう。
ただしさに殺されないために
1冊目はこちら。8月末ごろ、友人のRTを見て興味を持った本でした。それ以来2か月ほどタイトルが頭を離れず、10月末の誕生日前後に購入した記憶。積ん読を重ね、やっと腰を据えて読むことができました。これ程迄に読む側のリテラシーが試される本は久しぶりで、章毎に休憩を挟みながら読みました。読んだ場所は帯広~札幌、1泊挟んで札幌~函館、いずれも特急列車の車内です。
特急列車って、多少気合いが入った本を読みたくなるんですよね。特に帯広~札幌はビジネス志向の移動が平時から多く、年の瀬でもサラリーマンを数人見かけました。その反面、景色は雄大の一言で片付くほどで、「空・木・雪」で全体の8割くらいカバーできそう。十勝平野から日高山脈って、人の息吹を感じないところが多いんですよ。
そんな情景だからこそ、分厚い本を読めました。内容、というより取り上げられている話題は筆者の思想が前面に出ているので割愛しますが、筆者の物の見方は私にも通ずるところがあるなぁ、と。
世の中を見通すときに、耳当たりの良い物語に騙されるな。ということだと私は解釈しましたが、先が分からない時代だからこそ「不確かさの確かさ」をよすがにして生きるしかないよね、って気持ちになりました。今日がどんなにつらくても、明日は良いことがあるかもしれないし。逆もまた然り。
そう、ちょっと早起きして清々しい気持ちで乗った函館行きの特急で、ノーマスクでりんごを齧っている外国の方が隣の席に座ったように*2。何が起こるか分からんということの不確かさは確かにある。「当たり前」とか「正しさ」は時代の移ろいで裏切られるけど、「不確かさ」は裏切らない。それを寄る辺ににして生きるしかないんだ、ってこと、久しぶりに思い起こされました*3。
ひげを剃る。そして女子高生を拾う。
2冊目。京都にいた頃、下手しなくとも2021年に買った本。確か高野の大垣書店で見つけて、タイトルに惹かれて買ったんじゃなかったかな。30頁ごろに栞が挟まっていて、少し読んだけど当時はしっくりこなかったみたい。
それもそのはず、この小説、ライトノベルの割に主人公が26歳のサラリーマンで。彼が女子高生を拾う話。なんか誘拐とか猥褻とか物々しい言葉ばかり連想されるタイトルですが、この本の名誉のために伝えておくと、それなりに真っ当な内容でした。設定以外。
んで、26歳のサラリーマンって主人公の彼以外にもいて、私なんですよね…。
主人公は初っ端から失恋するし女子高生拾うし後輩女子社員には好かれてるしなんだこのクソ野郎いてこますぞオラなんか言ってみろテメェ、と暴言300回くらい吐きたくなるほど羨まけしからん*4。こちとら帯広に何も無いんやぞ平坦な生活しとんじゃまっ平らなのは十勝平野だけで十分じゃボケナス~~*5
と、ムカつきながら最後まで読みました。読んだのは普通列車の車内。森~函館。生活感のある列車で、少しずつ乗り降りがありながら函館に向けて乗客が増えていく、そんな道中でした。キハ40、良いよね*6。
読みながら思ったのは、やっぱり人と触れ合うのは大事だよなぁ、と。
ありきたりな話ですが「人間」って「人の間」と書くので、触れ合いが大事。関係ありそうでない話ですが、大学の「日本哲学史」の講義*7でも和辻哲郎の「間柄」について分析・論じるみたいな時に「人の間」って言葉で議論した記憶が朧気にあるような。京都で買った本だから京都のことを思い出しちゃうんですかね。これまでの人間関係から隔絶された地で、10人位しかいない知り合い*8を頼りになんとか暮らしているのですが、いろんなことが恋しくなりました。
今まで「フッ軽だから~」で済ませていたんですが、この恋しさを無意識で抱えていたからこそ、しばしば同期に会いたくなるんだろうなぁ。今年も遊んでください。
駅の名は夜明
3冊目。前作の「ふるさと銀河線」を10月に読み、日常のワンシーン、悲しみと救い、困難と再生を描くような筆者の切り取り方に惚れ、続編を衝動買いしたのが11月。温かい気持ちになりたくて、函館~木古内の普通列車と、登別~札幌の特急列車で読みました*9。
このシリーズ、列車の関わる情景を軸に話が展開される短編集でして。「ふるさと銀河線」って帯広の隣町からかつて伸びていた鉄道路線の名称なもんで、最初は「ふるさと銀河線が舞台の鉄道小説かな」という程度の認識でぼんやりと購入しました。しかし読んでみたら前述の通り惚れこんだ、という訳です*10。
小説の舞台も、大阪もあれば架空の場所もあり、北海道が取り上げられているのはそこまで多くなく。なんなら続編にあたる「駅の名は夜明」の「夜明」、福岡・熊本・大分の境界地帯ら辺をイメージしていただければいいんですが、そのあたりの駅なんです。ちょっとロマンチックな駅名ですよね。駅名にかこつけて物語を書きたくなる気持ちも分かりますね*11。
その中の1作で、駅そばで働く熟年女性にスポットライトを当てた中編小説がありました*12。詳細喋ると勿体ないので泣く泣く割愛ですが、お独りで生活費を切り詰めながらなんとか暮らしている方で、駅そばで完結する世界から少し外に飛び出したり、打ちのめされて帰ってきたり。それこそ本当に悲しみと救い、平凡に言えば山あり谷ありという話に感極まりそうになりました*13。
そんな時にふと窓の外を見ると漁港があって。ちょうどこれを読んだ日は大晦日だったのですが、雪国だからか人出はほぼ無く、動いている物といえば国道から集落に入る交差点で左折する佐川急便のトラックくらいでした。その時直感的に「あぁ、私に年末年始はあっても彼らに年末年始は無いんだな」という気持ちになりました。
働き始めてから改めて痛感したんです、物流というのは本当にすごいな、と。私の勤める帯広の営業所は本当に出先機関みたいなもので、仕事を成り立たせるための機能・人材のほとんどが札幌にあるんですよね。だから札幌・帯広間の物流は我々にとって命綱なのですが、それを担ってくれている物流には感謝してもしきれないな、と感じていたんですが、大晦日も彼らの働く姿を見てしまうと、感謝というより尊敬なんですよね。もはや*14。
思えば今乗っている列車を動かす運転士さんも、作中の駅そばで働く女性も、(昨今のコロナ禍でエッセンシャルワーカーという言葉が与えられ、本来の存在価値を俄かに再認識させられつつありますが、)振り返れば数年前までは「社会の歯車」としてぞんざいな扱いもあったはず。世間の評が掌返しをしても、彼らの現実は何一つ変わらない。だとしても、いや、だからこそ? そこに秘められた彼らの誇りというか、何かを糧に現実を生きる彼らの息遣いというか、私自身の社会人生活やこの中編・車窓を踏まえ、より一層重層的に見えてくるものがあるな、と感じました*15。
そうだ駅そば、食べよう。
こんな話を読んでいたら札幌駅に到着しました。
本を仕舞い、鞄を背負い、ドアからホームに出たら目の前が駅そばだったんですね。
いや、これを運命と言わずしてなんという。
そう思って私は、年越しそばの代わりにきつねうどんを注文*18。
マイナス1度の大晦日の札幌駅、吐く息も白くなるホームの上で、立ち昇る湯気に眼鏡を曇らせながら食べたきつねうどん。
今年で一番美味かったなぁ。
なんの変哲もないきつねうどんだけど、今の私にはこれが沁みるんだ。
血圧のことも忘れて久しぶりに汁まで完飲して、「ご馳走様でした」と呟きながら器を返却。すこし気分が浮かれていたので「良いお年を」と言葉を付け足したり。
いや、それだけのことではあるのですが、私の元気はこの時だいぶ復活しました。
数年分失っていた元気*19の全てを取り戻したとは到底言えないけど、3作を読み終えて抱いた晴れやかな気持ちが、駅そばを媒介として現実世界の私にリンクしてきた感がありました。良かったねわたし。年末年始に旅もしてみるもんだね。
さて、その勢いで札幌→旭川の特急で執筆を終わらせて年末投稿を目論んでいたのですが……文章を書くリハビリが明らかに足りておらず、、「あれ、なんかピッタリな言い回しあったよなこれ…」とか「浮かんできた言葉の意味は文意に適当か??」とか、色々考えていたらまったく書き終わりませんでした。くそぉ。悔しい*20。
まぁ年末の忙しい時期にアップしても通知流れちゃうし、誰も読んでくれないもんね! と強がりを言いながら、旭川駅併設のイオンで買ったチューハイを飲み、大晦日だからと奮発したイオン産の鰻をホテルのレンジで温め*21、紅白を横目に見ながらひとり酒盛りをやっておりました*22。年の瀬の総決算。いつも通りだけど今日はいいじゃん。耳まで赤くなった顔ではっぴーにゅーいやーでした。いやーハチャメチャな年越しだ*23。
という訳で、2023年もわたしはわたし。
人生楽しまなきゃ損だよね! の心持ちを忘れず、前向きに生きていきましょう。
不確かだからこそ、予測不能な良いこともきっとあるさ~~
今年もよろしくお願いします。一緒に人生楽しみましょうや。
2023年元日 もじばやし
*1:まぁマジでこれしかやってない。
*2:これマジモンの実話なんですよ。不思議通り越して面白かったですよねもはや。なんで真冬にりんご齧りながら特急乗ってくるの。
*3:私の座右の銘、「なるようになるし、なるようにしかならない」なんですよね。少し通ずるところがあると思うんです。え、あるよね?あれよ。
*4:暴言のバリエーションが豊富過ぎる。
*5:暴言のバリエーションが豊富過ぎる(2回目)。
*6:この文言にビビッと来た人、この動画がおすすめです→
あの人気企画が帰ってきた!形式分離されまくった気動車25形式の正体を追う!【迷列車で行こうきまぐれ編#8】 - YouTube
*7:私が2回単位を落としたヤツですね。必修でもないのに3回も受講してやっと単位取りました。というか、3回目の受講で単位取れなかったら卒業要件足りなくて留年になるという背水の陣を敷いていた思い出深い講義です。なんじゃそりゃ。
*8:大半が150kmくらい離れてる
*9:函館~登別は寝てました。ぐっすりじゃん2時間半だぞ。
*10:ちょろいな。昔からちょろいけど。
*11:夜明に限らず、九州は少し不思議な駅名が多い印象です。個人的には「光の森」駅が好み。なんかのテーマパークがあるのかな、とも思いますが、JRだと施設名を直球で名付けることって多くない気がするので、命名経緯含めて気になります。
*12:マジ蛇足なんですが、前作では駅そばで働く熟年男性の話もありました。こちらも心に残っております。
*13:「○○しそう」という言い回し、使ってみたかったんですよね。齊藤京子さんの「感動しそうです」という本家の言葉には切れ味が到底及ばないのですが、リスペクトも踏まえた本歌取りということで。
*14:真面目だ。どうしよう、真面目過ぎる。
*15:世の中に奥行きが見える瞬間、わたし個人的にはすごく好きなんですよ。世界を見る自分の目が、また一つ成長した気持ちになるんですよね。
*16:当然パロディ元は京都に行く某CMなんですが、これって実は「そうだ京都、行こう。」なんですよ。「京都に」とか「京都へ」とかじゃなくて、「京都、」なんですよ。知ってました? え、いやいや。嘘だと思うなら調べてごらんよ。嘘ちゃうもん。
*17:ちなみにあのCM、JR東海が関東・中京圏に流しているだけなので、実は東京~名古屋ら辺の人しか知らないんですよね。言ってしまえば関東ローカル。実は京都の人にはあまり通じないという罠。
*18:いやうどんかーい。って心の中でツッコんでください。私、そばより圧倒的にうどんの方が好きなんです。許して。
*19:エッセイ#6参照!
#6 眠るクリエイティブ、不休の新卒魂 - もじばやしの日常観察
*20:私のアイデンティティの一端は文章にもあると信じているので、ここは揺るがしたくない。割と本気で。やー、力量を取り戻さねば…。
*21:おいしかった。スーパーの鰻も意外とやるやん。
*22:ほらそこ、あれ、やっぱり空しくない? とか言わない。真実は人を傷つけるんだから。
*23:見栄だけで韻を踏むなよ~初心者風情のクセに~。