いや~どもども、もじばやしです。東京は梅雨に片足を突っ込んで、のこりの片足は夏に踏み入れようとしているような、そんな肌感です。
そう、1年半弱も更新をほったらかしている間に、帯広から転勤になって東京在住になりました。たくさんエッセイしたい話題があったような気もするんですが、前回の「競馬で負けまくる1/2*1」みたいなやつの続きを書かなきゃなぁ、、、と思っていたら足が遠のきました。続きが書ける確証も無いのに見切り発車するもんじゃないね。ごめんちゃい。
ということで、リハビリがてら小噺をひとつ。
わたし、毎月1万円分の本(新刊)を買うのを日課にしていたんですよ*2。や、「読書が趣味」というより「積ん読が趣味」。しかも2~3年くらいは平気で寝かしておいて、「今だな」と思った日に一気読みするスタイル。ちょっと珍しいかもなんですが、自分の部屋の中に自分好み(のはず)の本が未読状態でたくさん並んでいる人生は楽しいですよ。
そんな風に楽しんで毎月購入していると、だんだんと自分のメンタルの調子を測れるようになってきました。一種のバロメーターのようなもので、ビジネス書をたくさん買う時もあれば、漫画を大人買いすることもあり、はたまた趣味に傾倒したような6,000円の本をどーんと買っちゃう時もあったり。「今月はもうダメだ*3」「今月まだ追い込めるわ*4」とか、もはや仕事の残業時間を加減する時の司令塔のような存在でした。
最初の1年はその効用でニンマリしていたのですが、2年目から欲が出て来て。1万円握りしめて書店に行っても「この書店、品揃えが俺好みじゃないな…」とか思ってしまう訳です。ネガティブな話で具体的な店名を出すのは憚られるので何も言わないけど、やっぱりご贔屓とノン・ご贔屓が出てくる*5。
自分好みの贔屓書店の話を少しだけ。北海道だと帯広の喜久屋書店さん、札幌のMARUZEN&ジュンク堂さん。この2店舗には本当にお世話になった。2年間で24回あったハズの1万円浪費大会のうち、18回くらいはこの2店舗で開催したんじゃないかな。
喜久屋書店さんの閉店は本当に悲しくて、閉店日は何も考えずに2万円くらいお買い物しちゃいました。大体は積ん読してるけど、読んだら帯広の日々が本当に終わっちゃう気がするので、しばらくはきっとそのまま。この時に購入したユニークな本だけこっそり教えますね。
さて、東京に戻って3年目。実は今のところ、ご贔屓な書店さんがまだ見つかっていないのです。これは由々しき問題ぞ*6。
いや、実は高校生の頃から池袋のジュンク堂さんは大好きでよく訪れていました。あの店に行けば欲しい本(正体不明)がある(たぶん)のは分かっている。分かっちゃいるんだが、折角の新生活。東京生活の第2章だというのに、既知のお店で終わらせて良いものか。すまんジュンク堂。すまん池袋。俺は新世界への旅に出るーーッッ*7
ということで色々訪れているんです。訪れてはいるんですが、自分好みって意外と難しい。ていうか、自分好みってなに?
私の本の好みですが、自分では「ちょっと変な本」と分析しています。弟には「本屋にあったら気になるけど、買うかというとあと一歩足りない本たち」と言われたことがあります。いずれにせよ世の中の流行ど真ん中とか、時流潮流に従うような本は好きじゃないようです。
そもそもの性格が若干(それなりに?)逆張りヲタク気味なんですよね。本屋大賞とかあんまり気にしない。『成瀬は天下を取りに行く』、流行ってるじゃないですか。まだ読んだことなくて。最近の流行りでちゃんと流行ってるときに読んだのって『傲慢と善良』くらいじゃないかな。
せっかくだから貼っておきますね。
で、つい先日も複数の大型書店さんに足を運んだわけですよ。そこも今のところ琴線には触れてなくて。その中で丸の内周辺を訪れた時に思ったことがあったんですけど、語っていいですか?ダメな訳ないね?語らせて。そのための我がプラットフォームなむ*8。
お伺いしたのは丸善さんの丸の内本店*9。東京駅丸の内駅舎の真ん前に店を構えながらも、電車の高架橋を若干見下ろしながら青空も望める窓配置が解放感を高めていて、評価が高いのも頷けます。1階の入り口すぐには我が先輩*10の最新作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が超大量に平積みされており、個人的にも高評価。
なんですが、それこそ「変な本」が無い…というのが正直な感想でした。裏を返すと、「人生をきちんと進めるための本」ばかり、というか、、
あらゆるところに世間の潮流を感じて、それはすごいと思うんです。でも、「ChatGPTを使って効率アップ」とか「新NISAがどうした」とか、大変恐縮ながらそういう本を求めてはないんだよな、、って。私が求めているのはべつやくさんの『カツ丼を名画にして、冥土で売ってそうな土産を作る生活』みたいな、そういう本なんですよ。この本、私は札幌の丸善で手に入れたけど、たぶん丸の内の丸善にはないんじゃないかな。
私は書店ブランドごとに好みのブランド、ノン・贔屓なブランドがあるんじゃないかと思っていたんです。丸善さんとジュンク堂さんが私好みで、このブランドはそんなに…、みたいな。
でも多分そうじゃなくて、あるのは地域性なんだろうなぁって。丸の内が先鋭化しすぎているきらいはあるにしても、ビジネス街にある書店はどこもこういう品揃えだろうと想像できます。
そうだとすれば、池袋のジュンク堂さんが私好みなのも少し頷けます。池袋はサブカルの地域柄、ビジネス街というよりは「埼玉に帰る前に一息つくための繁華街」という性格。「池袋って埼玉でしょw」と言われるのってディスりっぽいけど、私にとってはその空気感が救いになっていたようです。
極めつけにビックリしたのが、丸善さんの3階。「丸善の三階」っていうラウンジがあるんですよ。ヤバくないですか。何がヤバいって、場所の説明がそのまま店舗名(すなわちアイデンティティ)になっているし、取りも直さず本屋にラウンジがある事それ自体に価値を感じる人が恐らく一定数はいるという事実。
これを見た瞬間に「あぁ、東京のビジネスマンにとって、書店は自己投資のための場所なんだな」って思ってしまいました。スポーツジムとか英会話とかと一緒。書店に並ぶ本は異世界への入り口じゃなくて、現実を生き抜くためのアイテムだったようです。
なんだか、私の本の読み方と違うかも。
そのギャップにクラっと来てしまい、1冊だけ本を買って退店。リアルな意味でも眼精疲労的な頭痛を感じたので、眼鏡を外して地下鉄千代田線まで歩きました。ぼやけた視界は不要な情報をシャットアウトできるので、歩きながら無心に考えていたことが今日のエッセイの全てです。
時々、裸足で立って大地を感じることを重視している芸術肌の人がいます。「なんでそんなことするんだろうなぁ(何の意味があるんだろう)」って思っていたのですが、多分彼らは対象と自分に挟まる靴という異物が邪魔なんだろうなぁって、眼鏡をはずしたせいで足元の感覚に頼りきりになった私は考えました。
たぶん今日の私には眼鏡が邪魔だったと思う。ぼやけた視界は私にそう語りかけたから、私は自分の感覚だけを寄る辺に生きていこうと思います。
たとえそれが東京だったとしても、ね!
ちなみに、今日買った唯一の本はこちらです。
ではでは、またいずれ。