もじばやしの日常観察

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#2 人生は群像劇。

つい先日、後輩から「はてなブログ読んでますよ」という言葉をいただきました*1。嬉し恥ずかしという気持ちですね!

 

ということでお久しぶりです。もじばやしです。気づいたら1週間近く空いてしまいました。前回アップしたエッセイが(個人的には)結構いい感じだった説があって、自分の中の次回作へのハードルが上がってしまいました。とはいえ、長く更新し続けるための秘訣は、「いったん自分の中でのハードルを下げること」だと思っているので、頑張りすぎない・日常っぽいエッセイを更新しようと思います。

なので、今日はさっき読み終わった本から感じたことのお話です。

 

 

本読みの遍歴

最近はすごく本を読むようになりました。

小学生のころまで遡ると、その頃はあまり本を読むタイプではなくて。本を読んでいると親が喜ぶから、親の機嫌を取りたい時に本を読む。みたいな感じ。実はこれ、あまり過言では無くて、少なくとも自発的に本を読むようなタイプではありませんでした。

ただ、今から振り返ると「面白いと感じる本が身の回りになかったから」なのかなぁ、という気もしたり。小学生の時分は感情の経験値も引き出しも少ないので、共感が働かないんだ、っていえば仕方ないことのようにも聞こえますが、でも小学生にも本好きっているよなぁ。彼らは何がきっかけなんだろう。

 

ちなみに私が小学生の時に一番読んでいた本は、時刻表でした。そう、1000ページくらいあるアレ。時刻表の第一義的な性格は「情報」にあるので、普通の人は恐らく「時刻表で”調べる”」以外に使わないんですよね。そんな時刻表を「読む」タイプの子供だったわけなんですが、自分が親なら止める気がするんですよね。変だよ、って。両親は何で止めなかったんだ…*2

とはいえ、最近は趣味として認知され出してる節があるので、どうやら私は時代を先読みしていたようですね。うむうむ。すごい*3

www.itmedia.co.jp

 

そして、中学生になっても大差なかった私ですが、ある転機が訪れました。

中3でライトノベルにドハマり。本当にドハマりして、年間100冊弱は読んでました。あの時が間違いなく一番読書してた。修学旅行*4の自由時間の時、駅のホームにあった書店で新作を買うくらいにはハマってました。おじいちゃんからもらった図書カードを全部ラノベにつぎ込むくらいにもハマってました。

ちなみに、これ完全に本筋に関係ないんですけど、大和八木駅のホームに本屋さんがあったんですよ。どうやら数年前に閉店してしまったようです。思い出の地がまた一つ、知らない間に消えていたって思うと、なんか寂しいですね。

ameblo.jp

www.nara-np.co.jp

 

そうして大学生になったのですが、この頃にはラノベ趣味から抜け出てしまい、常に読んでいるジャンルの本、みたいなポジションが無くなっちゃいました。

でもでも。ここで新しく出てきた趣味がありまして。「BOOKOFFで好き勝手本を買う」という趣味なんですけど。これ、冊数の割にお金が飛びすぎなくて楽しいんですよ。ストレス解消術的にやることもあります*5。おかげで我が家は京都に来た時より本棚が3つ増えました。どうすんねんこの冊数。

 

古本は出会い

そんなこんな、京都には古本市という良き文化がありまして。糺の森みやこめっせで行われているん*6ですが、そんな折に出合った本がありました*7。 

bookmeter.com

 

こちら、『阪堺電車177号の追憶』という作品です。 ご存じの通り私は鉄道が結構好きなので、正直タイトルだけで手に取りました。表紙もどことなくモダンを感じる絵柄。作者の方は存じ上げなかったのですが、これだけ電車を押し出してくる小説は西村京太郎以外あまり見当たらない気がしたので、買いました。

 

以降、一応物語のネタバレは避ける感じで書きますが、物語の構成に関わる部分の話になるので、気にする人はブラウザバック。あ、その前に高評価とチャンネル登録はよろしくお願いしたいですね*8

 

実はタイトルになっている「阪堺電車177号」というのは電車の形式名*9でして、この車両が85年間も使われてきた(という設定*10)ので、この車両が見てきた景色ややり取りから、一部を抜き書きつつ連作短篇に仕上げるというものでした。

この「"連作"短篇」というのが少し肝で、(あるあるな気もしますが)時系列が離れつつも登場人物間に所縁や血縁があるという設定。一時流行った有川浩さんの『阪急電車』に近い感もしますが*11、あれは同時代的だけどこちらは「177号という空間を中心にした時間を超える1作品」に纏まっている、という違いがある、のかも。

最後の全力伏線回収がかなり明示的に行われる点は少し笑ってしまいましたが、ワクワクしたりドキドキしたりするお話たちでした。いいね。

 

Life is…?

さて、私こういう「少しずつ絡み合う日常」を切り取る作品が大好きなんです。こうした作品ではこの絡み合いがさりげなく(それでいて丁寧に、かつきちんと)提示される訳ですが、読み進めていくうちに物語の糸が束に縒り合わせる感覚、これが得も言われぬ快感というか、没入感を増大させているというか、ともかく好き。群像劇みたいなやつ*12。誰が主人公というほどでは無いけど、誰も彼も「必要なパーツ」としての人である、という存在。いいじゃないですか。

そうして必ず思うのが、「そういう世界に生きたい」という気持ち。大きな山や谷が無くたって、日常のきらめきに目を向けて、丁寧に掬い取る。そうした人生でありたいなぁ、と思って、空想の自分を思い描いたりするわけです。

 

でも少し考えてみると、 大きな山や谷を求めていないからこそ*13、自分の心がけ次第で人生の彩はいくらでも増やせるんだよなぁ、という気もしました。何が無くても目を向けるような大きな出来事より、身の回りの些細なことに気付けた方が何かと幸せ、ってよく言うじゃないですか、たぶん。私って、恐らくそういう生き方に憧れているんですね。

 

この歳になると*14、「この世界での自分の立ち位置」がだんだん見えてくる頃合なんだろうと思います。私は恐らくどでかい花火を打ち上げるタイプではないけど、控えめに縮こまる気もない。ちょっと主役を張るときもあれば、名脇役で支えることも、通りすがりの見知らぬ人になることも、ある。そんな群像劇団の一味として生きるのが、悪く言えばお似合い、よく言えば「私にしか出せない味*15」なのかな、とか。 

"Life is like a voyage."とか、"Life is beautiful."とか、そういうセリフ、よく聞きますよね。人間、何かに託けて人生論を語ろうとするわけですが、敢えてその言葉を本歌取りするならば、「人生は群像劇」って思いながら生きたい、と感じる土曜の午後でした。

 

よし、タイトル回収が終わったのでここまでにします!今日も頑張った、えらい。すごくえらい。

ということで!また次回~。

 

 

 

*1:ひっそり読んでくれてる人、いたらぜひ声かけてください!励みになります。

*2:ちなみに私は時刻表の読み過ぎで目が悪くなりました。なんちゅー自業自得。

*3:ほんまかそれ。

*4:ちなみにウチの学校、中高一貫だったのですが、中3は「研究旅行」、高2は「修学旅行」という謎の区別がありました。不思議。

*5:そういえば、卒論提出し終わった日の夜にBOOKOFF行った時は36冊買ってました。やば。

*6:コロナ禍のため暫く行われていない様子。京都を離れる前にもう一度行きたい…開催してほしい…。

*7:出合ったくせに積読を重ね、2年経ってやっと読んだのですが…趣味は積読

*8:YouTube定期。#もじばやしは早くラジオを上げろ

*9:細かいこと言うと形式名では無くて「編成番号」ってことになるんだと思いますが…まぁいいか、な。

*10:どうやら実際には176号までしか存在しないらしく、177号というのは架空の車両らしい。

*11:原作はもう13年前らしい。マジかよ。ちなみに映画化もされてる。

映画『阪急電車』~阪急電鉄 特設サイト~

*12:そういえば、群像劇といえばこんな漫画作品があります。幼少期に読んだので記憶が曖昧…また読みたいなぁ。本屋さんやメルカリで探してみようかな。

モーニング公式サイト - 『デラシネマ』作品情報

*13:たとえばハリポタみたいに魔法の世界観を求めてないんですよね。そういうの、ちょっと荷が重い。

*14:なんて言って、まだ24歳です。私は22世紀を見るまで死ぬつもりはないので、まだ人生1/4以下です。よしよし。

*15:トップを張り続けたい感性の人もいるし、一方私の感性は群像劇団が適所だったのかな、みたいな気持ち。

#1 「エッセイを書く人」になりました。

「出る杭は打たれる」っていう言葉あるじゃないですか。目立つと潰される、みたいな意味だと思うんですけど、残酷な言葉だなぁって思っていたんですよね。

今日はそんなお話です。

 

 

発信力は敵なのか?

これは私の長所*1であり、悩み所でもあるんですが、「発信力に長けている」んですよ。自分が楽しいことを経験すれば、すごく楽しかったといわんばかりのツイート・投稿・表情をするし、嫌だなぁ辛いなぁという経験も、その通りの発信をしてしまう。良くも悪くもストッパーがないんでしょうね、恐らく。

あと、4投稿目にして何度目の言及かというほどですが、「気に入ったことは自分でもやってみたくなる」んですよね。先日のYouTubeの謎ラジオも、このブログもそう。コロナ禍で殊更人に会う機会が無くなり、自分が考えていることを発信する機会が激減した、というのもブログ開設の密かな*2動機です。

 

という訳で、好きなように発信をするわけです。ただ、その際に必ず「自分を何者かのように仕立て上げることは、良いことなのか?*3」っていう悩みが付き纏うんです。

例えば私はブログをやっているから「ブロガー」と名乗ってもいいし、こうやってエッセイを書いているから「エッセイスト」と名乗ってもいいし、YouTubeに動画投稿もしてるから「YouTuber」と名乗ってもいいし、時々ピアノを弾くから「ピアニスト」と名乗ってもいいし、……とか。そうやって「型にはめて定義付けをして、自らを何らかに自称して相手に差し出すこと」、超ハードル高いなって思うわけですよ*4

こうやって悩む機会が増えると、根源まで立ち返って自分の発信力を憎むことが稀にあります。そうして荒んだ気持ちになると「自分の発信力が敵だ」とか思ったりするわけなんです。

 

自称する勇気

そんなある時、「キョコロヒー*5」を見ていました。せっかくなのでTVerのリンクを貼っておきます。クセになるので、ぜひ。

 

tver.jp

 

この番組のとあるコーナーで「コンテンポラリーダンサー」と名乗る人が現れました。松本ユキ子さん(松本 ユキ子 (@yukiko_mtmt) | Twitter)という方で、ちょっと奇妙だけど視線を釘付けにさせる何かがある、そんな振付のダンスを見ました。

ここで私の浅学故に知らなかったことなのですが、どうも「コンテンポラリーダンス」というジャンルがあるらしい。ということは、この人はあくまでそれに従って粛々と名乗っているだけなのかもしれない。かもしれないんですが。でもなんだか勇気をもらった気がしました。

というのも、やはり「人間は言い切ってくれると安心する*6」、というある意味当たり前の事実に気付けたからです。「コンテンポラリーダンサーです」と言われると、「あ、この人はコンテンポラリーダンサーなんだ」という風に、一旦スッと納得するんですよね。その言葉の意味するところは確かに後から考えるとしても、一旦呑み込める。この「一旦呑み込む」というのが、言い切りの魔力だなと感じたわけでした。

 

推しの考えるエッセイと、エッセイストの考えるエッセイ論

はたまたある時、推し*7のエッセイ(コラムかもしれませんが)が掲載された雑誌を読んでいました。せっかくなのでこれもリンクを貼りますね。

 

www.fujisan.co.jp

 

どうやら推しもエッセイが好きらしく、こんな一説がありました。折角なので引用をば。使ってみたかったんですよ、引用機能。

エッセイとは人から貼られたレッテルをはぎとり、心を直接覗かせてもらうものなのではないだろうか。(中略)エッセイを読むときのこの甘美な快感は、他者の心を覗く罪悪感からきているのかもしれない。

小説現代 2021年5・6月合併号」宮田愛萌『読書中毒日記Vol.14』(pp.244-247)より

ははーん、エッセイってそういうものなのか。という感触がありました。確かに「エッセイ 書き方」とかでググっても、基本的には①事実に即して、②自分のことを書きましょう、という御触書を随所で見ました*8。推しもそう言うなら、エッセイとはなるほどそういうものか。そんな気持ちになりました。

 

さらにこの雑誌、さすが「小説現代」というタイトルにふさわしくエッセイストのエッセイも連載されています。その中で、酒井順子さんの言葉も沁みました。

八〇年代は軽い時代であったからこそ、エッセイであれ短歌であれ口語的なわかりやすい言葉をもって書かれるようになったのだ、と言うこともできます。しかし同時に、好景気と平和とに恵まれた八〇年代は、若者が自分を表現するときに特別な理由が不要になった時代と言うこともできましょう。動機から自分を表現せざるを得ないと言うよりも、何とはなしの不安から、もしくは理由は不要となり、レジャーの一環として心情を文章化する動きが広がったのです。

小説現代 2021年5・6月合併号」酒井順子『~日本エッセイ小史~人はなぜエッセイを書くのか 第九回 詩とエッセイ』(pp.180-185)より

あぁ、自分を表現するのに特別な動機は要らないのか。なるほど。いやまぁこれは80年代の話なのですが*9、私は80・90年代のJ-POPが好きな人なので*10それも良しとしましょう。私の心象風景に80年代が混ざるなら、表現に80年代のマインドが混ざったっていいじゃないか。

 

更に、別の一節では「エッセイのように見えなくてもエッセイと言い張ることもできる」と、プロのエッセイストが言っているのも私を後押ししました。このあたりは原文を引用しませんが、流石エッセイストという言葉の感性を感じる響きが幾つもあったので、表現を独り占めします。気になる人は書店で買ってください。上にリンクも貼ったからね!

 

たぶん私も。

とまぁ、最近の心の移り変わりをつらつらと書いてみました。2000字くらいで終わらせるつもりが3000字ほどになってしまいました*11

でも、これなら私がエッセイを書いてもいいなぁ、と、そんな気がしたので、折角だし胸を張って「エッセイを書きます」と言っていこうと思います。エッセイスト。

出る杭が打たれるといっても、出てみないと打たれるか分からんじゃんね。そもそも私が杭とも限らん。大樹かもしれないもんね。

 

 

……いや、エッセイストという響きはまだ荷が重いので、「エッセイを書く人」くらいで留めておきます。もうちょっと文才が身に付いたら、エッセイストを自称しよう。

ではでは!もじばやしでした。またいずれ。

 

 

*1:たぶん。

*2:昨今の「密」の流行りぶりは、きっと前島密も驚きでしょう。

*3:この背後には、「自分は大した人間ではない」という自己評価があるのですが…まぁそれはそれ。

*4:自称することのハードルが高いからこそプロがプロとして活動できる、という考え方もありますが。

*5:ヒコロヒーさんと齊藤京子さんのダンスバラエティ番組らしいです。そんなカテゴライズあるのか。

*6:就活でも、言い切り型の発言で自信を演出すると、採用側も信用しやすい。みたいな話を聞いたこともありました。やっぱり人to人の何かがあるのかもしれませんね。

*7:日向坂46の宮田愛萌さん、という方です。

*8:実は前々からググって準備していました。こういう所に生来の申し訳程度の真面目さが出てる、のかもしれない。

*9:なんなら2021年は目下コロナと五輪とワクチンで国論が大分断、好景気とも平和とも言い難いですが。

*10:サザンオールスターズ槇原敬之、とか。有名どころだけどね。

*11:考えながら書いたら2時間くらい経ってました。次回からは1500字程度を目安にしたい。読む側の労力を考えても。

ラジオ投稿のきっかけ(ベイラジ#3を投稿しました)

どうもどうも。こんにちは*1、もじばやしです。

ベイラジ#3を投稿しました。

 

www.youtube.com

 

まぁとりあえず再生して、ついでに高評価とチャンネル登録もお願いします。最初30秒は結構いろんな編集を加えたので、そこだけでも聞いてくださいませ。

 

 

あまりに唐突?そらそうですね…。説明を多少加えてみようと思います。

 

 

ラジオやってんの?

そうなんです。やってるんですよ*2。始めてからまだ1か月くらいだし、喋っている内容も編集も素人レベル(そらそうだ)なんですが…喋りたくなってしまいまして。思い立った次の日にヘッドセットを買いに行くほどに喋りたかったんですよね。

前から喋りには多少自信はあったのですが、だからと言って「自分でラジオをするなよ」と仰りたい気持ち、非常に分かる!分かるのですが、まぁそこは少しこらえていただいて。初投稿でも言ったとおり、「気に入ったものは自分でやってみたくなる」性分なので。

 

お、ということは逆に言えば、気に入ったラジオがあったんですよね。そうなんですよ。よくぞ気づいてくださいました。それがこちら。
www.tfm.co.jp

 自己紹介の記事で、アイドル(日向坂46)にもハマっている、という話をしたと思います。最初は冠番組*3を見るだけのファンだったのですが、次第に彼女らが出演する媒体に手を伸ばすようになり、いつの間にかラジオも聞くようになりました。恥ずかしながら人生でラジオに触れたことがほとんどなく、ラジオというのは案外良い媒体だと認識するに至りました。ありがとう日向坂。ありがとうにぶちゃん*4

 

ちょっとした葛藤

ただ、やっぱり「聞く」と「自分でやってみる」というのは次元が違う話で。まずそもそも自分の話が面白くない。こいつがすでに絶望的だ。まぁ百歩譲って面白い話ができたとして、だとしても一般人のラジオを誰が聞くねん

この課題をクリアしようとすると、恐らく全員が思いつくのが「身内ネタを身内に向けて喋る」こと。たぶん一番手っ取り早いですね。だがしかしだ。駄菓子菓子*5。身内ネタをネットの渦に放つほど恥ずかしいことってないと思うんですよね。少なくとも私はちょっとしんどい。ツイキャスがギリ。

じゃあ外向きの話題を喋ろう、自分が好きなことを喋ろう。そう思って始めたのが、このベイラジだったんですよね*6ベイスターズについて話すラジオ。略してベイラジ。

 

でもですよ、でもでも。今度は「外向きの自分を知り合いに公開するのって恥ずかしい」っていう気持ちが湧いてくるわけですよ。しかもどうせ再生数1桁だし*7。分かってんだ、伸びるわけないしバズる訳ないのは。でも喋りたい。んーむ。葛藤。ぐぬ。

とか思いながら毎回投稿しています。手慰み、というほどでは無いけれど、スタンスに困っている趣味、というか。

 

まぁ、こういう「雑然としたコンテンツを1つの場所から発信すること」を目指したのがこのブログなので、ある意味では掲げた看板どおりなのかもしれません!「今やりたい事に全力を捧げるプラットフォーム。」という文言に偽りなし、ということで。

 

最後は宣伝(?)なのですが、この度弊ブログのTwitterアカウントを開設しました。ブログに投稿するほどでもないけど、ブログに関係はあるなぁ、みたいなことを時々つぶやきます。あと、記事が投稿されたらツイートでお知らせもするので、よっぽど私のブログを気にしている方は是非フォローしてみてください。

twitter.com

 

ではでは!また次回。

*1:なおこの記事を書いている現在は午前2時である。おやすみなさい。

*2:どうみてもラジオというよりは音声付きパワポなのですが、この点も色々考えた末の形です。また喋ります。

*3:

日向坂で会いましょう(テレビ東京)の番組情報ページ | テレビ東京・BSテレ東 7ch(公式)

*4:タルタルチキン!

*5:急に小学生のころ言っていた駄菓子屋のビジュアルが浮かびますね。私はみつあんずが好きでした。これ。

Amazon | 港常の みつあんず (30袋入り) | 港常 | 駄菓子 通販

*6:実は日向坂46について喋るラジオも1回投稿しました。こちらもそのうち次回作をアップするつもり。

*7:ありがたいことにどのラジオも2桁は再生されました。目指せ3桁再生。

ポケット時刻表#1 JR東日本・東京駅(2005年3月1日現在)(1)

ポケット時刻表、皆さんは意識したことがありますか?

ホントはそういう所から記述したほうがそれっぽいのでしょうが、そういうのは後日やります。いきなり本題。

 

JR東日本・東京駅(2005年3月1日現在)

まずは表面から。

f:id:mojibayashi:20210505183526j:plain

新幹線が載っているので、こちらを表面というテイで。流石は16年前で、どこを見てもノスタルジーばかりですね。

 

どうですか!ワクワクしませんか!しますよね!してくれ!!(押し売り)

いや、こういうのを見てワクワクするのは、恐らくだいぶ高等遊戯だっていう自覚はあるのですが、きっと少しの人には刺さるだろう!と思っています。果たして…。

 

それはそうと、ワクワクポイントを書いていきます。共感したらコメントを下さい*1。 

 

・そもそも新幹線のポケット時刻表という新鮮さ!

 ポケット時刻表と言えば、「サラリーマンの名刺入れに入れるためのサイズ感」だからこそ、無意識的に「通勤列車のための時刻表」という印象があります。しかし東京駅は、東海道線や中央線の隣に「東北・山形・秋田新幹線」「上越長野新幹線」を並べてしまっている。この大胆な采配にあっぱれです。

更に、(勿論当然ながら)新函館北斗新青森もまだ存在しない時代、新幹線が八戸止まりだったことを覚えている人はどれだけいるでしょうか。こまち号と併結しているのは今と変わらずとも、その列車名は「はやて」号。今となっては立ち位置が不明確にもほどがあるはやて号ですが*2、当時は確たるフラッグシップでした。「(八秋)」という行先表記からも、得も言われぬ哀愁を感じることができます*3

 

もう1つだけ伝えるなら、「20:48発、あさま号軽井沢行き」の存在です。 

△印の「金曜・指定日は長野まで運転」という響きで思い出す人もいるのでは。そう、軽井沢止まりで、翌朝は軽井沢→長野という長野県内ラッシュ輸送に徹する運用が組まれていたアイツです。前日が金曜だと車両が長野まで行ってしまうために、土曜日は運休になっていた時刻表が懐かしいですね。

 

・湘南電車と寝台特急の合わせ技!

平塚行きと熊本行きが同じ空間に存在した時代がある、その言葉だけでご飯3杯はいけます。間違いない。この時刻表は2005年3月1日改正後のものなので、残念ながら「あさかぜ」号は記載がありませんが*4、それでも「富士」「はやぶさ」号が存在する事、涙なしでは眺められません*5。私が物心ついたころの記憶が勝手に神格化されている節はありますが、それでも「18:03」という時間には甘美な響きがあります*6

 

実は寝台特急だけでなく、いわゆる「東海道線」の方にも特記すべきことがいくつかあります。

そもそも「沼」が示す沼津行きがたくさん走っています。今でこそ朝夜に数本ずつにまで縮小されましたが、当時はもう少しありました。更には1日1本の山北行き。御殿場線直通も、設定が無くなってから何年たつのでしょうか…。JR東海への直通でいえばどうしても5:20発の静岡行き*7ばかりが語られてしまいますが、 沼津行きや山北行きも語り継ぎたいですね。

語り継ぐのであれば、7:24発伊東行き。時刻表上では何の変哲もありませんが、185系が運用されていました*8。確か折り返しの「踊り子」の送り込みだったと記憶していますが、これも大胆な運用だなぁと感じてしまいます。確かにラッシュ逆方向とはいえ、藤沢くらいまでは結構混みそうな気もしますね。この運用も2013年のダイヤ改正でなくなってしまいました。

ちなみに、23:48発の国府津行きは金曜のみの運転のようです。当時は金曜のみの運転が流行っていたんですね*9。今のJR東日本にはその柔軟性がさっぱり無くなってしまった気もしますが…。コロナ禍で色々とそれどころではなくなりましたね。

 

 ・小さな変化をたくさん感じる中央線

中央線と言えば「中央線が好きだ。」というキャッチコピーが有名になってきたように感じます。いつから使っているんだろうかと調べたら、案外最近かもしれません*10

さて、小さな変化の中でも大きなものを挙げるなら「東京駅始発の各駅停車が無くなったこと」だろうと思います。新宿駅の16番線にやってくる武蔵小金井行きや高尾行き、あれを見ると夜の深まりを感じたものです。

その他にも特快の本数が増えたこと、土休日の朝9時頃に1本だけしぶとく設定され続けてきた三鷹行きが無くなったこと、時代により設定時間がまちまちだった国分寺行きの終焉も、変化と言えば変化ですが、然程大きな変化というほどではない気がします。勿論ライナーが特急化されたこともありますが、着席保障の有料列車という性格に変わりはありませんしね。

逆に八高線直通は、当時より今の方が拡充されていますし(箱根ヶ崎行きも設定されるようになった)、中央線は現在の方がロマンがあるダイヤになっているのかもしれません*11。たしか2013年2月だったと思いますが、京王線の抜本的ダイヤ改正以来、中央線は攻めざるを得ない構図になったと感じますし、その点の影響もありそうですね。

 

 

表面だけであまりにもたくさん語ってしまいました。

次回は裏面について書く予定です。総武快速横須賀線、京葉・武蔵野線について、今回ほどではないにしても、少し喋ると思います。

 

*1:あとチャンネル登録と高評価も欲しいところ。

*2:おそらく「盛岡~新函館北斗間で完結する運転区間の新幹線」を指している。

*3:できます、などと断言していますが、これに共感する人はかなりの変人です。

*4:「さくら」号も思い出したいところですね、長崎行き。

*5:そういえば、「富士ぶさ」と呼んでいたことを思い出しました。

*6:普通に生きていればそんな甘美さはありません。

*7:321M、という方が有名でしょうか。

*8:こちらも、521Mという方が伝わるかもしれませんね。

*9:そういえば、埼京線も長らく金曜のみの運転がありました。

*10:

中央線が好きだ。web│JR東日本八王子支社 - JR中央線、沿線情報がいっぱい

*11:この調子で、ヘイトをため続けている杉並3駅についても変化が訪れてほしいところですね…。

初投稿

こんにちは!

「もじばやし」と言います。

この度は、「もじばやしの日常観察」というブログを始めることにしました。

 

ブログの形態をとっていますが、おそらくあまりブログっぽくないことに使うのではないかな、と考えています。

色々と更新をしながら方向性が定まるような気がしますが、とりあえずは自己紹介から始めようと思います。定番ですね。

 

 

自己紹介

京都で学生をやってます、「もじばやし」と言います。珍しいあだ名ですが、実はこのあだ名が付いてからもう10年以上経ちました。絶妙に本名っぽくないけど、然程ふしぎな感じもしないので、かなり気に入っています。いいでしょ。

出身は東京で、大学から京都に来ました。もう6年目です。

興味の方向が異様に広くて、旅行*1、地理、交通、ごはん*2、野球*3、音楽、読書、アイドル*4、ゲーム、コンテンツ制作、…、やりたいことが尽きないタイプの人間です。

 

さて、4月頭に無事に就職活動を終え、4月末にゼミ発表も終了したので、実は約1年半ぶりに暇が訪れました。余裕っていいね。

あと1年弱で終わる学生生活、おそらく京都での最後の1年をどう過ごそうかな~とずっと考えていたのですが、やりたいことが五月雨式にやってきつつ、飽き性な節*5もある自分がやれること、何があるだろう…と悩んだ末に、はてなブログに行きつきました。

 

やりたいこと

前述の通り、「始めたはいいけど続かない」ことが多すぎるんですよね。

Youtubeへの動画投稿*6、旅の動画チャンネルもラジオの動画チャンネル*7も、「編集するのが結構大変だな…」となってしまい、あまり続いていません*8

 

そこで、やりたいことを全部まとめたプラットフォーム的なサイト(orブログ)を立ち上げて、何を更新してもプラットフォームと紐づけるようにすればよいのかも!と思い立った末、立ち上げられたのがこちらのはてなブログです。

ということで、以下のようなことをやりたいなと思います。

 

・エッセイめいたもの

書いてみたいんですよ。エッセイ。ただの憧れなんですけど。

昔からエッセイ風な文章を読むのが好きで。最近ハッキリ自覚したのは、弘中アナのフォトエッセイを読んだときですね。ただのミーハー。ただ紹介するだけもアレなので、Amazonのリンク貼り付けておきます。

ステマじゃないですよ。敢えて言うならダイマ

www.amazon.co.jp

 

「気に入ったものを自分でも試しにやってみたい」という行動原理は昔から変わらないので、エッセイも多分たまに連載されます。ただ、エッセイだけだと間違いなく更新が途絶えると思うんですよね。これは自信あります。間違いなく途絶える。

 

・最近の趣味について語る場

だからこそ、自分の趣味を語り倒して投げ倒す場所にもしよう、と。

野球もアイドルも音楽も、単独ではなかなかエッセイにしがたい話題*9も、こうやって「趣味について語る!」と銘打っておけば続けやすい、かも…?という浅はかな目論見があります。

まぁこれは納得ですよね。ブログっぽい。

 

・断捨離を兼ねたデータ保管庫

「……は?」と皆さん思われると思うんですよ。まぁ待て。どうどう*10

 

いや、実は、これが一番の目的なんですよ。それでいて、尚且つ更新にブーストがかかるかな、と思っている大きな要素でして。

自分、実は収集癖がなかなかにひどくて。収集したものだけで段ボール4つ分くらいあるんですよ。いや、誇張抜きでマジで*11。ご当地の観光パンフレットとか、鉄道好きが高じて大量に集めた「ポケット時刻表」とか*12

こういうものを、当時の思い出を少し添えつつ、ヲタク全開でアップロードしていこうかな、と企んでいる訳です。やっぱこういうのが一番捗る。間違いない。

 

ということで、現時点では以上の3つがコンテンツになるかな、と考えています。比率は恐らく1:1:8くらいになりそうな気がしますが、まぁそれは一興。

 

さいごに

ブログという形を借りた、非常に独特なコンテンツが形成される予感がします。このワクワクがどこまで続くか、あまりに未知数で自分が怖い。

とはいえ、中2~高2でやっていたブログで700記事以上更新してきた自分の過去があるので*13、その頃の勢いを思い出して、初心に帰って頑張っていきたいと思います。

 

Yahoo!ブログから始まり、fc2ブログamebaブログ、note、seesaaブログと経てたどり着いた今回のはてなブログ。どこかの時点から初投稿には常に書いている、締めの一言で今回も締めたいと思います。

 

 

 

どうやら私の人生である以上、
書くことからは逃れようがないらしい。

 

 

 

 

ちなみに、下記の脚注は読むほどのことではありません。小ネタ、小ボケ、追記など。

*1:46都道府県訪問したのですが、逆に(?)沖縄だけ未踏です。

*2:おいしいからね。

*3:横浜DeNAベイスターズファンです。シーズン序盤に大ずっこけですが、果たしてどうなる…。

*4:2020年GW、圧倒的自粛期間に日向坂46にハマりました。見事に釣られました。

*5:大体のことが、やり始めたはいいが不時着しがち。続かないんだなぁ…。

*6:いわゆる「ゆっくり実況」ってやつです、そのうち紹介します。

*7:概念ねじ曲がってる気がしますが、こちらもそのうち。

*8:どちらも続ける気はあるのですが…。

*9:じゃあ単独でエッセイにできる話題を思いつくんか??と聞かれると、うーむ…。

*10:

人をなだめる時に「どうどう」と言うのはなぜですか?どういう意味... - Yahoo!知恵袋

 こちら、回答が辛辣で笑ってしまいました。確かにな。

*11:ちなみに、文庫本・新書・漫画単行本なども、京都来てから買ったものだけで500冊くらいあると思うんですよね。これもすごいことになってる。実家に300冊くらい置いてきたのに。

*12:「とか」、などと言っていますが、ほぼ確実にこればっかり。ヲタクがバレる。

*13:ちなみに、当ブログのタイトルは、当時のブログのタイトルに結構寄せました。当時を知っている人は懐かしんでみてください。